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ITプロマネのブログ

IT業界、プロジェクトマネージャーのブログ

自給自足2 カラス

トウモロコシ畑がある。

その日は一日中この畑を守る役割だった。
何から守るのか、
カラスからだ。

 

我々のトウモロコシは我々の姿そのものを写していた。
一言で言うと、みすぼらしい。
やせ細っていて、小さく、実があまり付いていない。
その上、黄色くなく、白っぽい。
どう見ても旨そうには思えない。
隣に農家が育てている東京出荷用のトウモロコシ畑がある。
まあ、一言で言うと、お見事。
とても大きく、身がいっぱい詰まっていて、
濃い黄色い色をしていて艶もある。
なぜ、みすぼらしい我々のトウモロコシ畑をカラスから守る必要があるのか、
理解できなかった。隣の畑こそ守らなければならないと直感した。
ところが、この直感は見事にはずれた。
カラスはみすぼらしい我々の畑にしか来ないのだ。
なんの敷居があるわけでもないのに、隣の畑には目もくれず。
一日カラスを追い払っているだけで、うんざりした。

アホなカラスの好む我々の畑のトウモロコシを食べさせてもらった。
めっちゃ、うまい。みずみずしく、抜群に甘く、それも自然な甘さ。
カラスはわかっていたのだ。
そういえば、未だかつてないほどうまいスイカもここで食べたものだ。
未だかつてないほどうまいトマトも。
僕は東京ではトマトを食べない。なぜならまずいからだ。f:id:one_piece_of_leaf:20170313164554p:plain
食べることはできるが、旨いと思ったことは一度もない。
ここでは赤くなりかけた頃の、つまり、
まだまだ青いトマトを一日5個は食べていた。
本当の野菜、果物を生まれて初めて知った。
都会の子供が野菜嫌いになるのは無理のないこと。
きれいだけど、まずいからだ。

ここで食べたおいしいもの。

トマトのジャム。
自らの畑ではたいした量がとれない。
農家のトマトを盗むと犯罪だ。
しかし、農家の敷地から出たものをとっても犯罪にはならないそうだ。
そうやって、まだまだ青いトマトをかき集める。
これに砂糖を加えジャムを作る。
これが本当にうまい。

藤の花の天ぷら。
藤の花、そう、ブドウの房のような形をした、小さな花が集まった、あれ。
あまり大きくならないうちに天ぷらにする。
大きくなると芯が硬くなる。
これは絶品だ。

 

技術は見るけど人を見ない

プロジェクトを組むのはPM、課長、部長などの管理サイドの人間の仕事だ。

たとえばシステム開発の場合は、数名の上級SEによりシステムで使用するプログラム言語、データベース、その他ミドルウェアなどが決定される。これによって必要な技術スキルが決まる。次にSE(システムを設計する技術者)、PG(設計書に基づきプログラミングする技術者)など、作業工程毎に必要な技術者工数を見積もる。そして、技術スキルと作業工程スキルの二つの観点から該当する技術者を該当する作業工程開始までに集めてプロジェクトを組むのだ。

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これって何か可笑しくないか。先のコラムでも書いたが、人が技術を身に付けているのだ。何故人間力という観点による選定が行われないのだろうか。本来は人間力、技術スキル、作業工程スキルの三つの観点から選定が行われるべきだと思う。

長くPM業をやり、特にプロジェクトの立て直しを多く経験したが、トラブルプロジェクトの原因を追及

 

すると殆どが、自己保身欲、出世欲など人間の欲が原因となっている。純粋に技術スキルによるトラブルは経験が無い。
ところが開発ベンダーはトラブルの原因を、SEの人数が足りないとばかりに、土壇場になって大量に投入したりする。トラブルの根本的な原因をしっかりと分析するべきだと思う。しかし、そもそも人間力という観点自体を持ち合わせていないため、当然のこととして原因として上がることもない。

次回は僕が経験したトラブルプロジェクトを一つご紹介する。

自給自足1 自給自足の生活

 ボランティア活動に疲れ切って、ちょっと変わったところにいった。

当時の僕は人と30分話すだけで目の下にクマができてしまう。
とにかく疲れる。
こんな状況では活動を続けられない。
ある人にそんな話をしていたら、
自給自足をしているいい場所があるから、
そこへ行って休んできなさいと言われた。

知る人ぞ知る有名な先生がいるところ。f:id:one_piece_of_leaf:20170313164347p:plain
ちょうど行ったのが新緑の季節、なんと緑の美しいことか。
まぶしいほどに、光り輝いている。
近くに泉がわき、その一帯に野の花々が咲き、
蝶が舞い、夜になるとたくさんの蛍が舞う。
蛍を見たのはおそらく初めて。
神秘的にさえ思える光景が続く。

広い敷地の中に、手作りの家が10軒ほど。
住居以外に図書館、米倉、納屋、井戸、どれも感動的なほどポンコツだが、
何ともいえない味わいがある。
他にあるものは田んぼ、畑、犬と猫、鶏、もぐら、キジなどなど。
人は僅かしかいない。

ここに来てしばらくして気づいたことの一つに、
自然の中には完全な直線と曲線がないということ。
これが都会との、あるいは人工建造物との一番の違いなのかもしれない。
どの家も曲がっていて、でもしっかり立っている。

みんなが集まって食事や歓談をする家以外には電気が来ていない。
各自の部屋は、ろうそくのあかりで過ごす。
梅雨の時期、野良仕事もできずに、あまりにも暇なので、
読書でもするかと思い、部屋のろうそくに明かりを付けた。
外界とは板一枚で仕切られているだけ、
風が強いとろうそくの明かりが消えてしまう。
ゆらゆらと揺れる薄明かりのもと本を読もうとするが、
しばらくすると目が痛くなって、とても読んでいられない。
本も読めないとなるともう、何もやることがない。
気が狂うほど時間が長い。
とうとう、考えついたのはろうそくの火を見続けること。
心が落ち着き、何ともいえない気分。
自然に火の中に吸い込まれ、体はリラックス、とても集中できる。
その数年後に知ったのだが、最も有効な集中力を養う方法の一つだという。

こんなへんぴな所で、ちょうど同世代の男性3名と女性1名に出会った。
日本の各地から集まってきている。
この土地での楽しい体験が始まる。

既に力があることを前提に、これが教育

自分にも部下にも、既に力があることを前提に、お互いの成長のサポートをすることが教育だと思う。

IT業界でPM(プロジェクトマネージメント)をやっていてよく悩まされることの一つは、部下をどうやって育てるかと言うこと。これが実に難しい。部下にあることを理解してもらおうとするのだが、なかなか理解してもらえない。そのうちどう説明して良いのかよくわからなくなってしまう。挙げ句の果て何故この人は理解できないのだろうなどと思ってしまう。ほんの数年前には自分も理解できなかったのに、どうやって理解に至ったかは覚えていない。最近の自分もまさに、その通りだ。そしていらいらしてしまう。f:id:one_piece_of_leaf:20170410143702j:plain

こんな時にいつも念仏のように唱える言葉がある。
「彼には理解する力が既にある」同様に「僕には説明する力が既にある。」

特にこの業界は日進月歩、次から次へと新しい技術、言葉が生まれる。自分で吸収しては人に説明することの繰り返しだ。そのたびに悩んでいられない。常に前に進まなくてはならない。先の言葉を心に留めると何故かほっとする。そして進み始める。

上から下へではなく、知っている者から知らない者へではなく、持てる者から持てない者へでもなく、自分にも部下にも、それを理解し、吸収する力が既に備わっていることを前提に、お互いの成長をサポートすることが本来の教育だと思う。

フリーランスに失業保険

政府・損保が創設 対象1000万人 日経新聞2017年3月14日f:id:one_piece_of_leaf:20170404141349j:plain

「政府は特定企業に属さずに働くフリーランスを支援するため、失業や出産の際に所得補償を受け取れる団体保険の創設を提言する。損害保険大手と商品を設計し、来年度から民間で発売してもらう。政府は契約ルールを明確にしたガイドライン作成を企業に求めるほか、教育機会の拡充も検討。介護や子育てを理由に自宅で働く人も増えており、若年層や女性の多様な働き方を支える。」

ようやくフリーランスも失業保険に入ることができるようになるのかと思うと感慨深い。自分の人生を振り返っても失業保険を貰えていたら、若い頃はもう少し生活が楽だったと思う。ひたすら社員化を進めるのではなく、多様な働き方を受け入れる方向に進んでいることはとても良いことだと思う。
ちなみに、「米国ではフリーランス労働力人口の35%にあたる5500万人規模に達している。」そうだ。

この手の多様性を受け入れる姿勢は一歩も二歩もアメリカの方が先に行っている。アメリカのまねをする必要は無いが、日本にもアメリカとは違った多様性を受け入れる素地があるのだから、もう少し世界の先駆者になっても良いのではないか。

 

ボランティア6 連続放火魔

軽度の知的障害児の施設に通うことから、僕のボランティア活動は始まった。

この施設の目的は社会復帰させること。
しばらく活動していると、大きな矛盾を感じることとなった。
社会復帰できない子どもたちは一見不幸に思える。
もちろんそれも不幸なのかもしれないが、
社会復帰できてしまった子供たちの不幸には目を覆う。

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ある卒園生のこと。
ある時先生と話していたら、手伝ってほしいことがあるという。
実はこの施設の卒園生のAくんが無実なのに罪をきせられて、
終身刑を課せられそうだという。
そんなことがあるのか、疑心暗鬼だった。
何を手伝えばよいのかを尋ねると、
裁判の傍聴に来てほしいという。
お安いご用なので仲間をかき集めて傍聴に言った。

その子の生活は悲惨だった。
1ヶ月ほとんど休みなく働いて、給料は5万円ほど。
月の3分の1は水だけで暮らしている。
悲鳴を上げて、施設の先生たちに支援してもらっていた。
そんな劣悪な環境の中で事は起きた。

ある下町で酒に酔った勢いで、路上の車の窓ガラスを割ってしまった。
現行犯で捕まった。
弁護の余地は当然あると思ったが、やってしまったことはやってしまったこと。
捕まるのは仕方ないと思った。
ところが、
その地区で連続放火事件が十数件続いていた。
そして、その犯人は捕まっていなかった。
警察は仕立てに入っていた。
その子を、知的障害児のその子を、連続放火事件の犯人に仕立てに入っていた。

自白書、
警察官がすべて書き記し、知的障害児のその子にこう言う。
警察官・・・「おまえ家に帰りたいか。」
知的障害児のその子・・・「はい。」
警察官・・・「だったら、ここに拇印を押せ。」
知的障害児のその子・・・「はい。」

物証、
それらしいものをあちこちに置き、カメラの日付を変えて写真を撮りできあがり。

裁判官、彼らもひとだ。いろいろと取りそろえられるとそのように見えてくるのだろう。
施設の先生は、このままいくと有罪になる、状況はきわめて劣勢だ。
とにかく、傍聴に来てほしい。
大勢で傍聴に詰めかけると、裁判官も手を抜けない。
傍聴しだしてしばらくすると、劣性転じて、無罪。
もし、先生たちが、活動しなかったら、もし、僕たちが動かなかったら、
連続放火犯、無期懲役だ。

人生の前半が知的障害児の施設で、後半は刑務所。
それも無実の罪?で。こんな事が許されていいのか。

この子が望んだ人生ではない。
人生の前半も、そして後半も。
せめて、後半の一部は手助けできたのか。
いや、もっと大きな不幸が待っているのかもしれない。

施設の先生は、昼間は施設の子供たちを見て、これはある意味では仕事。
でも、夜も休日も仕事?ボランティアをやっている。
卒園生の面倒を見ているのだ。
敬服する。

それにしても、権力者たちへの憤りは、収まらない。

”Yes”ということは必ずしもお客様のためではない

 

説教モードが続きいやになった読者の方もいらっしゃるかと思うけど、勢いに乗ってもう一つ。
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ソフトウェア業界の管理サイド(PMやシステム部長や営業など)には困った人が多い。お客様に”Yes”しか言わない。一体何しに来ているのだろうか。それで仕事しているつもなのだろうか。

お恥ずかしい話であるが、この業界で昔から言われている不思議なことがある。ソフトウェア業界のシステム開発プロジェクトは7、8割失敗している。つまり、納期遅れか赤字を出しているというのだ。成功率は2、3割野球の打率の方がまだましか。日本は技術立国だとも言われる。その日本で起きている珍現象である。しかし残念なことだが、僕の経験からも成功率はそんなものだと思う。これは管理サイドの過度なお客様至上主義というか、”Yes”マン主義に責任がある。

赤字や納期遅れの構造は簡単だ。システム開発の最初にあるシステム要件(こんな仕様で開発して欲しいというユーザの業務内容や要望等)を前提として見積書をユーザに出す。これには納期と金額が書かれている。双方納得してプロジェクトはスタートする。ところが前提となったシステム要件が途中で変更される。変更されるまでに行った作業は無駄になる。この要件変更が何度も繰り返されるのだからたまらない。ユーザから「最初の納期と金額でやってくれるよね」と聞かれ、これに対して管理サイドは”Yes”と言ってしまう。保身のためだろうが、この無責任な”Yes”に技術者は泣かされることになる。最終納期は変わらないのに当初約束されていたシステム要件は何度も覆され、実質的な納期はひたすら短くなる一方だ。金額も変わらないので技術者を増やして済む作業があっても増員されない。そして残業、徹夜が当たり前になる。今国会で残業規制されるようだが、この業界で見る勤務実態はかなりひどい。僕が経験したプロジェクトでも1ヶ月の残業時間は200時間を超えることが日常茶飯事だ。

たとえ相手がユーザでも言うべきことは言わなければならない。仕事に責任を持つなら当然のことだ。要件変更があることは致し方ないとして、工期を延ばしたり、開発金額を増やしたりすることは要求すべきだ。ある大手メーカーの部長らからこんなことを聞く。「システム開発は赤字になるので、開発後の保守契約で取り返す。」
つまり、既に開発の黒字化は諦めている。その上金額が不透明にもできる保守契約で取り返すというのである。
技術立国日本は少なくとも大手メーカーでは終わっている。恐らく零細企業辺りに本当のプロがいらっしゃるのだろう。情けなくなる。

”Yes”ということは必ずしもお客様のためではない。しかし保身のためか、そう言ってしまう人が多い。困ったことに上長ほどこの傾向が強い。これでは示しが付かないどころか、若い人たちが本当に可哀想だ。大きな夢を持って社会に出たは良いが、ものの2、3年で幻滅することだろう。若い人に文句を言う前に我々親父がしっかりと自分を持って、自分と向き合って生きねばならない。