ITプロマネのブログ

IT業界、プロジェクトマネージャーのブログ

ボランティア4 山谷の殺人者

越冬闘争のため、東京の山谷へ来た。

ここも釜ヶ崎同様どや街だ。
夕方頃、3,4人の先輩とこの地区のパトロールをしていた。
大きな通りの反対側で、若い男性二人とおっさんが喧嘩をしている。
先輩たちも気づいてはいるのだが、止めようとしない。
仕方ないので一人で通りを渡り、仲裁に入った。
おっさんが若い二人をボコボコ殴っている。
いかにも無骨で喧嘩が強そうだった。

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みんな酔っぱらっている。

若僧の僕はおっさんに言った。
「おっさんいい加減にしろよ。」
おっさんがなぜか喧嘩をやめた。
そして、こう言った。
「お兄ちゃん、若いのに度胸があるな、
酒をごちそうしてやるから付いて来いよ。」
付いて行った。
未だにあれ以上汚い飲み屋に行ったことはない。
未だにあれ以上まずい酒を飲んだことはない。
酒ではないと思う。アルコールそのものじゃないか。
すごい臭いとすごい味。舌が痺れる。
酔いはすぐ回った。
おっさんの気分はなぜか上々で、身の上話を始めた。

「おれは、若い頃に北海道で3人殺している。
俺みたいな惨めな人生を若い連中に味合わせたくない。
だから、若い連中が喧嘩しているのを見るとつい止めたくなってしまうんだ。」
しみじみと語るおっさん、やけに説得力を感じた。
喧嘩を止めているうちに喧嘩をしていた両方を殴っているのだ。

参った、小便をちびりそうになった。体中が細かく震えている。
おっさんがアルコールを注いでくれるが、コップを持っていられない。
急に弱気になり、ついに敬語で、「喧嘩はよくないからやめましょう。」、
なんて言ってしまった。
自分が恥ずかしかったが、あまりに怖くて、怖くて、
初めて出会った「人殺しさん」だった。

えらくまずい酒と極度の緊張でパトロール隊の宿舎に帰り着いたときは、疲れ果
てていた。
すぐ寝床に向かったが、布団に入るやいなや先輩に引っ張り出された。

「2度とあんなことをするな。
山谷と言うところは、山とも呼ばれ、殺人などの罪を犯したものが、
隠れて住んでいるところでもある。
ナイフを持っている奴らは多いし、拳銃を持っている奴もいる。
俺たちの仲間も何人か殺されている。
命が惜しかったら、2度と喧嘩など止めるな。
いくら止めても必ず、また翌日やる。」

身にしみた。疲れていたから、2時間の説教はとても、きつかった。
下手な正義感では、何もできないことを思い知った。

ボランティア3 釜ヶ崎の救急隊員

いつの間にか、ボランティア活動に夢中になっていた。

大阪市西成区釜ヶ崎のどや街に入り込んで、越冬闘争と呼ばれていた活動をした。
仕事にあふれたおっさんたちが、道ばたに寝ている。真冬だ、朝までに凍死して
しまう。毛布を配ったり、お粥を配ったり。

深夜にパトロールをしていると、ものすごい咳をしているお

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っさんがいた。
未だにあんな咳は聞いたことがない。痰が絡み、胸はゼーゼー。
大丈夫ですか、と話しかけても答えない。いや、間違えなく答えられないのだ。
すぐ死んでしまうのではないか、と思った。
近くの公衆電話から救急車を呼んだ。

しばらくして、救急車が着いた。救急隊員が二人降りてきた。
これで助かる、と思った。
救急隊員にすぐ近寄ると、一人がこう言った。「どいつだ。」
「このおじさんです。」と答えた。
救急隊員はこう言った。「またこいつか。」
そして二人の救急隊員は、そのおっさんを救急車に投げ込んだ。
次の瞬間一人の救急隊員の胸ぐらを掴んでいた。
「おまえら病人にどういう扱いをするんだ。」
一人の隊員が言った。
「申し訳なかった、でもおれたちは毎晩こいつらに呼ばれて、疲れ果てているんだ。」
意味がわからなかった。

宿に戻り、先輩にこのことを話した。
すると先輩はこう言った。
「彼らにとって病院は一泊二食付きの暖かい無料の宿だから、
自分で救急車を呼ぶんだよ。」
何も言えなかった。

弱者を守るために活動していたつもりだったが、
おっさんと救急隊員のどちらが弱者かわからなくなった。
自分が何をしているのかわからなくなった。

システム開発とBPR

システム開発案件の説明会に出席した。

こんなシステム開発があり、こんな技術者を必要としているという説明を聞く。
私どもは手持ちの技術者リストを見ながら適合する案件があるかを判断する。
システム開発に必要な技術者のスキル、技術者を必要とする時期、単価などが噛み合えば、契約に向かって動き出す。

案件を紹介していただいたユーザの営業と話をした。

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BPR経験の豊富な技術者を必要としているのですが、該当する人材はいるか聞かれた。
「BPR」とは、「ビジネスプロセス・リエンジニアリング」(Business Process Re-engineering)の略で、企業などで既存の業務の構造を抜本的に見直し、業務の流れ(ビジネスプロセス)を最適化する観点から再構築することだ。
いわゆる業務改革と同義と思うが、より抜本的な改革の場合にBPRという言葉を使うようである。

私は基幹業務システムの構築経験があるが、そもそも基幹業務を構築する前提にBPRがあると思っている。ただ、現行のビジネスフローに合わせたシステムを構築することは全く意味がないと思う。日々の業務は常に変化し続ける。すなわち、ある時点で整理したビジネスフローは、日増しに崩れていくことになる。そして、これでは効率が悪すぎると判断できる時点が来る。その時に、ビジネスフローの再構築をすることになる。つまり、ビジネスフローは再構築し続けるものだ。再構築した後にシステム構築をする。ぐちゃぐちゃに崩れたビジネスフローを元にシステムを構築すれば、システム自体もぐちゃぐちゃになる。整理し再構築したビジネスフローをもとにシステム構築すればすっきりしたシステムになる。

もちろんすっきりしたシステムの方が安くできる。システム構築には大変なお金がかかる。数億から数百億ものお金がかかることは日常茶飯事だ。こんなに多くのお金をかけるのだから、まずはすっきりとビジネスフローを再構築するべきだ。
ところが、日本の開発ベンダーは儲けることばかり考えていて、再開発することしかユーザに勧めない。それも少しでも開発費用が高くなるように。そもそもBPRの概念自体持っていない営業が多いこと、これが根本的な問題なのだろう。
システムエンジニアも同様だ。システムの設計手法云々の前に、BPRに対する考えをしっかり持つ必要がある。基幹業務システムを担うSEは技術マニアな技術者では勤まらない。

そこまで考えている技術者が必要なのだと、持っていた技術者リストを見直してみたが、いなかった。とくとくとユーザの営業にあるべき論を語って聞かせ、墓穴を掘った。恥ずかしかった。
社長失格、これから社員教育しますと、心に誓って会場を後にした。

パッケージかスクラッチか

新しい客さんの営業の方にお会いしてご挨拶をしてきた。

なかなかの好青年だ。
姿勢が良い。話すリズムが良い。細かな気遣いが良い。
白髪のおじさんをさりげなく立てながら、テンポ良くお互いの自己紹介が進んだ。
久しぶりに気持ちよかった。

今はSES営業だが、3年ほどSAP /R3でのシステム開発も経験したそうだ。
SAP /R3はドイツで生まれた統合基幹業務パッケージシステムだ。
日本でも多くの大企業が基幹業務システムとして採用している。

パッケージシステムによるシステム開発とは、既に標準的な機能を持ったパッケージシステムに対して、導入するユーザの業務実態に合わせてカスタマイズ(変更)することにより、ユーザー業務にあったシステムを構築していく手法だ。
これに対してスクラッチ開発(新規開発)とは、すべての機能を一から構築していく手法だ。

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一般的にパッケージシステムによる開発は既に多くの機能を持っているわけだから安く、スクラッチは一からすべて構築するのだから高いと思われていた。これはある意味当然のことだ。
ところがやってみるとそうではいケースが多発した。なんとSAP /R3を使って開発するとスクラッチ開発の3倍の費用がかかったという。その頃はSAP /R3に悪評が立っていた。

私はSAP /R3での開発には携わったことがないので実体験から評価することはできないが、似たような経験から推察することができる。
日本の企業の場合は自社の業務実態にシステムを合わせようとする。そのため企業の業務実態がSAP /R3の標準機能から大きくかけ離れていると、スクラッチ以上に費用がかかることも容易に想像できる。一度構築したシステムは、設計思想を根本から変更するような大幅改修は辞めた方が良い。大変な費用がかかる上にシステムが安定しなくなることが多い。このようなケースはスクラッチ開発をした方が得策だ。昔はパッケージを導入する企業も、導入を進めるベンダーも素人だったのだろう。最近は企業にパッケージが適合するかどうかの調査を念入りに行うようになったようだが。
SAP /R3の開発経験のある営業の方は、とても納得いった様子で、そうなんです、そうなんです、と相づちを打っていた。

昔は日本のソフトウェア開発市場に於けるパッケージソフトウェア市場は微々たるもので、アメリカでは50%以上がパッケージソフトウェア市場だった。
恐らく企業風土の問題だと思う。
日本は現場を大切にするので、現場の仕事の仕方、流れを重視する。だから、スクラッチ開発が合っている。アメリカは経営陣の力が絶大なので、パッケージを使うことが経営陣によって決定されれば、現場はそのパッケージの流れに合わせて仕事をするように変更するのだ。
つまり、日本は人に合わせてシステムを作る、アメリカはシステムに人が合わせるのだ。代表的な民主主義の国アメリカより、日本の方がより民主的だと思うが?
最近の動向はよく知らないので、ちょっとした昔話と思っていただいた方が良いのかもしれない。

話はそれるように見えて、恐らく、根は同じだと思われる話をもう一つ。
昨今はアメリカ大統領のトランプ氏が日本のニュースの主役となっている。次から次へと大統領令を発効する。大統領一人の意思でこんなにも多くの国策を決めることができるとは知らなかった。これが議会制民主主義の代表的な国のシステムなのだろうか。
あるニュースで解説者がこう言っていた。
アメリカは大統領を決めるときは民主主義だが、いったん大統領が決まると4年という期限付きの独裁国家になると。
大統領の立場からすると4年ぐらいの時間がないとやりたいことができないのだろうが、私のような一市民からすると4年も独裁されてしまうのはちょっと怖い。効率的なシステムだとは思うが、やはりちょっと、怖い。

システム開発の話の中で、企業風土という言葉を使ったが、国を統治するシステムにも、国の風土、お国柄というものがあるようだ。

ボランティア2 釜が崎のどや街

 

路上生活者の越冬闘争のため、大阪市西成区釜ヶ崎を訪れた。

どやがある。簡易宿舎の通称。
一つのフロアの天井がなぜか低い。
2段になっていて、一部屋が棺桶を少し大きくした程度の広さだ。
窓には逃げられないように、鉄格子がある。
もし火事になったら、恐らくほとんどの人が焼死するだろう。
そのどやが違法建築を取り締まるべき、消防署の真ん前にあり、
堂々と営業している。

そのそばの警察署の前に、ロータリーがある。
そこで毎日賭博が開かれている。
でも、誰も取り締まらない。

戦後の日本は恐らく、こんな感じだったのだろうと思った。
ボランティアを長くやっている人に聞いてみた。
「なぜ、取り締まらないのか。」
すると「もし取り締まれば他の地域でやるだけ。
他の地域で悪さするなら、ここでやらせておいた方がよい。
いつかみんな死ぬから。その方が人迷惑ではない。
警察も消防もそう思っているんだ。」これには驚いた。f:id:one_piece_of_leaf:20170313151105p:plain

ある日深夜のパトロールをしていた。
仕事に溢れてどやに泊まる金のないおっさんは、ただ路上で寝ている。
安い焼酎煽って、たき火に当たっている。
真冬の路上生活はあまりにも寒い。
毛布を配った。いつしか、おっさんも寝てしまっている。
凍死しないようにと願いながら、
僕はボランティアの宿舎に帰った。

翌朝、救急車のサイレンが聞こえた。
胸騒ぎがした。
飛び起きて、おっさんのところまで走った。
おっさんの足はたき火に入って溶けていた。
辺りには異臭が漂っていた。

どうすれば良かったのか、わからなかった。
ただ、日々、悲惨な現実が目の前を通り過ぎてゆく。
無力だった。

ボランティア1 16歳の秋

16歳の秋、友人に誘われた。

「知的障害児の子と遊ぶんだけど、一緒にいかない?」
「知的障害児の子」と言われて最初に感じたのは、なんとなく気持ち悪いような、怖いような感じがした。これが正直な感想だった。それで言い訳をして断った。
「クラブが忙しいから。」暫くしてまた誘われた。同じように断った。でもちょっと心苦しかった。f:id:one_piece_of_leaf:20170315142136p:plain
3度目、誘われた。が、誘い方が少し違っていた。
「ボランティア仲間に凄くかわいい女の子が来るんだよね。」この瞬間に行こうと決心していたが、あまりにも軽すぎるのが恥ずかしくて、意図的に少し間を置きながら「クラブが忙しいんだけど、1回だけなら行ってみてもいいよ。」自分がいやになりながらも、心はうきうきしていた。男子校育ちの性か、男の性か、いや、僕の性だろう。
僕の人生に多大な影響を及ぼす人々との出会いが、こんな一言で始まるとは、やはりちょっとかっこわるい。しかし、この時はそんなことになるとは考えもしなかった。

以下、僕の人生に多大な影響を及ぼす人々との出会

 

いの記録である。